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パルティア

説明

パルティア人
        この名前は使徒 2:9 ]">使徒 2:9 にのみ登場しパルティアに定住したユダヤ人を指しますパルティア本来の地域はペルシャの大砂漠とカレスムの砂漠を分ける山脈の南側に広がっていましたそれはヒュルカニアの南メディアの東サガルティアの北に位置していました古代のパルティア人はスキタイ系の民族と呼ばれおそらく大トゥラン系の家族に属していたと考えられますペルシャ人やセレウコス朝に次々と支配されていた後紀元前256年に反乱を起こしアルサケスの下で独立を確立することに成功しました使徒行伝の著者の心にはパルティアはインドからチグリス川までコラズムの砂漠から南の海岸まで広がるこの帝国を指していたでしょうそれゆえペンテコステの際に出席していた人々のリストにおいてパルティア人の名前が目立つ位置にあるのですパルティアはローマに匹敵するほどの力を持ちローマに対抗してその力を試み敗北しなかった唯一の現存する勢力でしたパルティアの支配は紀元前3世紀から始まり我々の時代の3世紀に終わるまでほぼ5世紀にわたって続きましたパルティア人はペルシャ語を話していました

スミス聖書辞典

地図

辞書からの情報

Parthians

were present in Jerusalem at Pentecost (Acts 2:9). Parthia lay on the east of Media and south of Hyrcania, which separated it from the Caspian Sea. It corresponded with the western half of the modern Khorasan, and now forms a part of Persia.

EBD - Easton's Bible Dictionary